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大山泰輝  プロフィール
1965日、北海道夕張市で生まれる
夕張市は、もともと石炭採掘によって栄えた町ですが、国のエネルギー政策が石炭から石油へと変わり、僕が過ごした当時は全盛期と比べると随分と寂れていたわけです。
まぁ私は憶えてませんけど・・・
そんな田舎育ちですから幼少期は野山を駆け回りと言いたいところですが、今と同じようにインドアな性格故にそんなに駆け回っていたという記憶は残っておりません。まぁ、家から一歩出ればそこはすでに野山と言ったところでしたけど。
自分に子供ができたら音楽をやらせようとの母の思いにより、兄弟3人ともオルガン教室に通いました。私も小学2年から通うわけです。そして、初めての発表会は「むすんでひらいて」と「ねこふんじゃつた」 ソロではなく団体演技でした。上手く弾けたのか、そうじゃなかったのか、記憶が曖昧です。
そしてこの時期、少年に一大転換期が訪れるのです!
小学3年の秋、一歩出れば野山というような町から、東京は杉並区に転校を余儀なくされたのです!!
それはそれはカルチャーショック!だった訳です。だって校庭が狭くて運動会の時、親と一緒にお弁当食べられないんですよ!?盛り上がらないのなんの。。。
そんな状況で田舎の少年は都会の学校に馴染めず休み時間も一人でいたりして。
それを心配した兄が母にその状況を報告し、「これはいけない!」と母は感じ、何か自信になる事をという意味合いで改めてピアノを習う事に。
これがピアノとの出会いでした。ちょっとネガティブなきっかけでしたね〜。
まだまだピアノを習ってる男子は少数派でしたが、「今日はピアノのレッスンがあるから遊べない」と宣言するのがちょっと恥ずかしかったくらいで、それ以外は特に「嫌だ」ということもなく、中学2年まで荻窪の伊東先生という女性の先生に習っておりました。
その後中学3年で札幌に戻る訳ですが、その直前にまた転換期が訪れます。
テレビでやっていたBilly Joelのライヴ映像に衝撃を受けます。
「ピアノってかっちょいいー!」
その半年後、今度はRichard Teeに出会いこれまた「すっげぇー!!」と衝撃を受けるのです。
札幌に戻ってからもピアノは習っていて、先生の名前は同じく伊藤先生。
教室で先生が来る前にそんなようなのを弾いてると、「大山くんはそういう方が向いてるんじゃない?」なぁ〜んて言われながら、高校2年まで習ってましたっけね〜。
高校生の頃は当時流行っていた「フュージョン」に夢中になっておりました。
フュージョンもアドリブというのがとても重要な訳ですから、「こりゃジャズできなきゃダメでしょ」って事で、地元の大学のジャズ研に入り、授業はほとんど出ずそちらの研鑽にいそしむのでした。おかげで卒業するのに5年かかってしまいました。
在学中より関東以北最大の歓楽街「すすきの」のお店で演奏をするようになり、そうかの有名な「すすきの音楽院」ですね。その後28歳で上京という運びになり、現在に至るって感じです。
その後の詳しい経歴は。。。まぁ、ここでは割愛させていただきます。